絶対バレない嘘をつく方法は、嘘を混ぜないことである。
嘘をつく人には2種類いる。嘘がバレる人と、嘘がバレない人である。嘘がバレる人というのは、まあ、しょっちゅう嘘をついている人もそうなのだが、中にはたま~に嘘をつく人もいる。たま~に、というのには、嘘をついた経験が少ない人と、たくさんの本当の中にごくわずかな嘘がある場合はバレにくい、ということを知っている人だ。まあ、後者はかなりの上級者と思われているが、俺からしたら、初心者もいいとこである。
嘘、というのは必ずバレる。「墓場まで嘘をつき通せば、それは嘘ではなくなる」と豪語する人もいるが、それでも嘘は嘘である。残された人が、それを嘘だと知ったときのショックってのは、計り知れないモノがあるぜ。それなら、もっとうまく嘘をつきなさい、って。
絶対にバレない嘘をつく方法は、嘘を混ぜないことである。「嘘を混ぜない、なら、全部、本当じゃん。なんでそれが嘘をつくことになるの?」と疑問に思われる方もいるだろう。いや、ほとんどの人がそうかな。でも、これこそが嘘の奥義なのである。
まったく嘘を混ぜないでも、嘘はつける。つまり、言葉や行動に、複数の意味をもたせればいいのだ。日本語には「かけことば」という、意味を多重に載せるテクニックがあるが、これを使えば、まったく嘘を混ぜないでも嘘をつくことができる。人間というのは、言葉や起こったことを、自分の都合のいいようにしか、解釈しない。であれば、表面的な意味とは別に、多重に載せた意味で、もうひとつのストーリーを作ってしまうのだ。そうして、それが、その人が受け取りやすいストーリーであれば、そのように人は解釈する。それが嘘であっても、だ。だってこっちは、表面上は、何の嘘もついていない。そう受け取ったのは、受け取った人が、そんな風に解釈したのが悪いのである。だから、もしこれがバレても、騙された人は文句の持って行きようがない。全て、そう解釈した自分が悪いのだから。
上級者になると、言葉や行動に2つ以上の意味を載せ、しかも、2つ以上のストーリーを構成することもできる。こうなると、よほど注意深い人でも、まー、騙される。しかも、ここまでくると、普通の人には起こっていることが、断片的にしか把握できない。となると、起こったひとつひとつの出来事が、偶然の一致、というように感じられるようになる。人間というのは、「偶然の一致が重なると、それが真実であると思い込む」という、もうひとつの特性がある。こうなると、もう、嘘とは考えられなくなる。それがいかに無茶苦茶なことでも、本人にとってはそれが、真実、なのである。
バレない嘘をつくのは、嘘を混ぜないことである。しかし、嘘をつくのは疲れるものだ。せめて、嫁さんになる女には、嘘をつきたくないものである。つかれたくもないが。