リスペクトする人物に「安野モヨコ」の名前を挙げているのだが、実は「ハッピーマニア」も「働きマン」も「さくらん」も読んだことがない(いや、今度漫画喫茶行ったら読みたいとは思ってるんだけどね)。リスペクトしている理由はただひとつ、「エンジェリック・ハウス」を読んだからだ。
ごくどこにでもいる中学生、柊志の前にある日、ハルという少年が現れる。ハルは21世紀から逃げてきたという。回りの人間はすべてハルの暗示にかかっており、ヘッドホンをしていた柊志だけがそれを逃れることができた。ハルの目的は「20世紀の人々の膨れ上がった欲望を取り除くこと」。21世紀では人々の欲望が暴走した結果、末期的状況を迎えていたらしい。ハルは「エンジェリック・ハウス」とタイトルされた音楽を聞かせることによって、目的を果たそうとする。
まあ、ちょっと見、ありふれたSFなんだけど、なんで印象に残っているかというと、それはこの漫画と出会ったのが「病院内」だからだ。入院しているとき、仲良くなった女の子(同じく患者なんだけどね)から「これ読んでみてくださいよ、絶対面白いから」と渡されて読んだ。当時抱えていてどうにも解けなかった難問があったのだが、この漫画がある示唆をあたえてくれたように思った。
難問ってなにかって? ここからはちょっと妄想なんで読み飛ばしてもらってもいいのだが、現代社会というのは欲望を肯定することによって成り立っている。それが社会の進化の原動力とされてきた。しかし資源は有限だ。どうしたってすべての人の欲望を満たしきることなんてできっこない。このままでは早晩カタストロフィが起こる。まともに現実を直視できる人ならそんなことは自明のことではないだろうか。だから中には自暴自棄になって破滅を望んだり、そこまでいかなくても「なんとなくこのままでは未来はないな」と漠然と思っている。大多数の人が無意識に、だ。大多数の人の無意識というのはほとんど確実に具現化される。それは歴史をみれば必然的な事実だ。俺としては何とかしてそれを突破できないか、と模索してきた。原因は欲望の肥大化なのだから、個人的な試みとしてそれを抑え込むことに人生のほとんどを費やしてきた。そして分かったことは「人から欲望を消し去ることは不可能ではないが、それを大多数の人に望むのはあまりに困難」ということだ。はい、妄想はここまで。
「エンジェリック・ハウス」では音楽によって人々の中から過剰に肥大化した欲望を取り去っていく。それも無意識のうちにだ。もしこんなことが現実に可能なら、「世の中ちょっとは捨てたモンじゃないな」と大多数の人が思うんじゃないかな、無意識のうちにさ。
ちなみに漫画としての個人的なツボはハルが20世紀の数学の教科書見て「開平って、こんなの頭の中でできるのか。すごいな」といったシーン。「あっ、この漫画本物だ」と直観した。だからこの一冊で安野モヨコをリスペクトしている、ってわけ。